人気ブログランキング | 話題のタグを見る
男の体がそろそろアブナイ
(地下鉄サリン事件の5年ぐらい前に書いた)

「からだだよ ポッポッ! no.46」
24/02/90
「男の体がそろそろアブナイ」  Naoki

 肩肘張って生きる、という言葉があるけれど、これはつまりあれでしょ、
たいして力もないのに、なんとか少しでも自分を大きく見せなければいけない(と思っている)人の日々の姿だよね。ま、自分も含めて男はけっこうそんな日々を強いられている。頭が緊張して、首、みぞおちが固くなるような体の状態になりやすい状況があるわけだ。

 こんなこわばった状態が続いたら確実に体はこわれていく。
ま、それを一気にゆるめようとして酒を飲んだり、射精したりするのだけれど。それでもなかなかうまくゆるむものではない。だから、男は多かれ少なかれ肩を緊張させたまま生きていかなければならない。これは、アブナイ。

 脱男性原理という言葉が、男性側からフェニミズムに呼応して一部で言われているみたいだけど、これは結局、こういう体の状態から逃れたいという欲求のあらわれじゃないかな。

 これまで男は、ムチャクチャ働いたり、イバッたり、弱いものをイジメたり、エラクなるためにワルイことをしたり、ヤクザ映画的なロマンティシズムに酔ってみたり、いろんなカタチで日常を逸脱することで、なんとかこわばりを解いてきた、と思う。
 しかし、もうそんなことできないのね。働きすぎは嫌われるし、弱いもの(女)はバリバリ発言し始めたし、ちょっとワイロをもらっただけでも大騒ぎされるし。

 だから、いま男は非常に不安定な状態にいると思う。
 こわばった肩が宙に浮いてフラフラしているようなものだ。
 このままってわけにはいかないだろうな。戦争でも始めるか。
 いや、けっこう宗教に走る男が増えたりするかも。

ココより転載
by nahkid | 2006-03-24 02:39 | カラダについての覚え書き | Trackback | Comments(2)
Commented by sho at 2006-03-24 22:06 x
おう これも忘れがたい文章だ

からだの会あっての考察だよね
様々な意味において
Commented by nahkid at 2006-03-25 03:29
そう思います。考えのためのベースがあるというのは、よいことです。
名前
URL
削除用パスワード


<< 寂しいロックンロール あなたの音楽が、好きでした >>