人気ブログランキング | 話題のタグを見る
未来は「検索」だった
きのうのエントリーを読み返していて、
チャンバラを日本だ、と思う感性(つーか、育ち?)と
歌舞伎など伝統芸能を日本だ、と思う感性(つーか、教養?)とは、まるで違うものだよな、と、ふと思いました。もちろんぼくは前者です、まごうかたなく、ヘヘヘ(^_^;)
というだけのこと。どちらが日本だ、なんて言えませんやな、本当は。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
きょう書きたいのはそれではなくて。
なにしろ未来は「検索」だったという説なんだから、ぼくの。
否定も揶揄もしていません。このことをすごくよいことだ、よい未来が来たな、と素直に喜んでいるんですよ。

未来は「テレビ電話」だった、という話はとっくに実現しているが、ちっとも面白くないですな。子供のころワクワクしたようなものではなく、ただのおっさんが画面に映るだけじゃんみたいな。女性だって、化粧してない顔で、カメラに写せるか、みたいなさ。未来というより、ひどく現実的な話だったというわけで。

それよりも未来は「検索」だったは、実現しました、というか、だれもそんなことを予測もしていませんでしたな。もちろん予測できないんだから、望みようもなかったわけで。

それをGoogleの連中がやってのけてしまったわけです。あっけらか~んと。

実はこれがすごく生活や仕事を変える、世の中を変える未来だったですね。これが未来だったということに、ぼくはかなりいいことがやってきた、と思っています。
さりげなくpower to the peopleじゃん、と喜んでいます。

現実的な話をしますと、DELLのPCを買い換えて、メモリー2GBになって、ワイドモニターになって、仕事がすごくしやすくなりました。ぼくの場合は組織のヒエラルキーにいませんから、仕事の効率アップは自分が望んで、自分のために即役立つというものです。
早く、よい仕事ができれば、ゆっくりお酒が飲めるというものです。
その中心に「検索」機能があるんですね。

テレビ電話みたいな未来より、ずーっと知的な役に立つ未来だったじゃないか、と思うんです。

以上。まとまりがないですけど。
by nahkid | 2007-07-28 02:58 | 日々の雑感 | Trackback | Comments(0)
名前
URL
削除用パスワード


<< 帰れないんだよ 少林寺 >>