実はへとへとである。
この1年でふだんの仕事に加えて、200数十ページの単行本2冊は、やはりきつかった。 著者とはいえ、企画構成から、図版、マンガのネームまでやったし。 本は、自分で全部できるのが、おもしろいんだけどね。 だからぼくにとって本をつくるのは、個人で雑誌をつくることなんです。 でも、もうそのヘビィな生活も終わった。 それと同時にいろいろな仕事が一段落したみたいで、 しばらくヒマになるかもんべいび。 そうなるとこんどは収入減の不安がじわじわと押し寄せてくるのが常なのだが。 でもま、当面は体を休めて、リラックスして鋭気を養おう。 そうすれば、儲けるためのアイデアも浮かぶだろうし、やる気も再燃するだろう。 という今日この頃の私ですが、ごきげんいかがでしょうか? (って、だれに話しかけてるのか) 今月半ばには住宅リフォームの本が出ますので、 そんなご予定のある方は、よろしくお願いしまんもすです。 マンガ入りで解説してますんで、楽しみながら学べること請け合いです(^_^) ・銀行の振り込み手数料って、他行に振り込む場合、3万円以下でも420円もするんですよね。 でも、最近口座を開設したあるネット銀行は、一律160円なんです。 しかも振り込みの操作も簡単至極。あっという間。並んだり、ややこしい操作の必要なし。 取材謝礼を送る必要があって、初めてネットバンクの振り込みを使ったのですが、あまりの簡単さに、世の中の進歩に感動しましたよ。 金利も高いし。こりゃ、ネットバンクはいいと思いますよ~ #
by nahkid
| 2008-04-08 01:19
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by nahkid
| 2008-04-07 00:27
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食べることが好きで好きで、という人が料理人になるのが一番だと思う。
ヘアスタイルに興味がある人が床屋をやるのがいいと思う。 ぼくは子どもの頃に漫画雑誌が好きで好きで、架空の雑誌を頭の中でつくっていた。 映画館主になりたいと思っていたこともあって、 そのときは架空の上映プログラムを一生懸命つくっていた。 合間に流す音楽も選んだりしていた。 頭の中に架空の映画館があった。 いまぼくは主に雑誌の仕事をしているので、やりたかったことをやっているということになります。地味な分野の雑誌ですけど。それが料理の雑誌でも、美容の雑誌でも、健康の雑誌でもいいんです。仕事というのはそういうものだと思いますから。いま漫画雑誌や週刊誌や音楽の雑誌をつくりたい、とは思いません。派手なものほど、その大変さがわかるので(^_^;) いま世の中の仕事というものに、いろいろ悲惨な状況が発生しているということは新聞の情報などでもわかります。非正規雇用者の問題、正社員もどきの問題。 あー大変だな、と思うのですが。 そうなっていることの遠い背景に、好きを基準に仕事を選ばない ということがあるのではないかな、とぼくは思います。 賃金や安定ということだけが職業選びの基準になっているから、 結局、それがちゃんと得られないということになると、それは悲惨です。 でも、好きとか、やってみたい、が基準だったら、 ちょっと違ってくるんじゃないかな、と思うんです。 それはつまり自分のエゴで世の中を渡っていくということですから。 この違いはずいぶん大きいとおもうんだけどなぁ。 自分のエゴのためだったら、少々の我慢はできるでしょ。 そしてある程度の収入が得られるレベルには、自分の力を伸ばしていけると思います。 この対談は終わってしまったけど、 エラクなろうともしないで、好きを徹底する軽やかさ、 これこそ社会的地位より、自分のエゴを優先する、素晴らしい生き方だと思う。 そういう人を見つけてくる糸井重里のセンスもすごいな、とぼくは思っています。 #
by nahkid
| 2008-04-05 01:47
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毎日詩を書くことを10年続けたら、詩人としてプロになれる、
プロというのは、そういうものなんだ、 と言ったのは、吉本隆明だけど。 毎日同じことを10年続けるというのは、極端なことだ。 そういう極端なことをやりたいなぁ、 と思っているのかどうか、ぼくは。 例えば、このブログを毎日書き続けることを10年続けたい、とか。 でも、毎日は書いていないじゃん。 あ、もうとっくに破綻しているのか、ぼくの試みは。 でも、極端な、とんでもない話というのは、 こうして1日のすべてが終わった時間帯に何かをやっているとか、 朝起きて何かをやる、とか。 そういう日常の中にこそあるんだよな、というのは本当だと思う。 そんな風に極端で、とんでもないことというのは、素晴らしいよな。 職業というものが、まさにそういうものなんだが。 それをしたいな、という欲望が、ぼくの中に間違いなくありそうだ。 ぼくはそういうとんでもなさを内包した、 ごくふつうの日常が大好きだ、と思う。 朝起きたら、毎日洋服屋を回っていた、という この人の話が素晴らしいです。 極端な好き、がいつのまにか仕事になった人の話です。 #
by nahkid
| 2008-04-04 01:15
| 日々の雑感
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歌手志望だったオヤジは、10代で魚屋にさせられるとき、イヤダ、イヤダと泣き叫んだそうです。
でも、そうして60歳を過ぎる頃まで魚屋を続けました。 最初は自転車で次にバイクで、次に3輪で、次に4輪で、と行商の車もだんだんグレードアップしていきました。40代には自分の店を出して、スーパーが町に進出すると、さっさと店をたたんで、スーパーで魚を売るようになりました。 テナントではなく、ただの卸なのですが、テナント同様に店で魚をさばいて売っていました。ギャラはもらわず、卸のもうけしかありませんが、卸しておわりじゃ、つまんなかったんでしょう。 若い人との付き合いも多く、人に好かれて、その頃が一番楽しそうに見えましたが、父にとっては、それまでもずーっと楽しかったかもしれません。常に陽気で、人と話をするのが好きですから。 60歳を過ぎて、商売がうまくいかなくなり、魚を見るのもイヤダといって、やめてしまいました。 その後は人に使われて、タマゴを喫茶店などに配送する仕事をやりましたが、人づきあいの好きな父は、それも楽しそうに、機嫌よく働いていました。 いまはお金にならない畑仕事を楽しんでやっています。 仕事は地味で、堅実なもので、生活のためにやるものですが、地味で堅実なものは、本来楽しいものなんだと、ぼくは父を見て思います。 生活のためにやるものにすぎないんだから、とシニカルにとらえることも、エラクなるためにやる、とか夢を実現するとか、妙にポジティブにとらえることも、どっちもツマンネーナとぼくは思うんです。 だって仕事を楽しむことは、ふつうの生活を楽しむことにすぎないんだから。 泣き叫ぶほど嫌なことでもやりようで楽しむことができるんだから、少々好きなことを選べば、楽しいに決まってるんです。 まー、息子が時期遅れで就職を探していることもあり、先日、友人と仕事のことなどをめずらしくしゃべって、楽しかったのですが。実は息子以上に、自分のこれからのほうが、ずっと大変なわけなんです。働くということに意識的になるのも、これからのおれの人生、波瀾万丈だぜ、みたいな予感があるのでしょうか? #
by nahkid
| 2008-04-01 03:34
| 日々の雑感
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by nahkid
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林ナオキ フリーランスの エディター・ライター 横浜市在住 ●ご連絡、ご感想はComments欄にお願いします。管理人だけに見える非公開書き込みもできます。書き込み時に要求されるパスワードは、コメント送信後に自分で削除するときに必要なもので、適当な半角英字か数字でいいようです。 ●トラックバックについて スパム対策のため、文中にこのブログへのリンクがないものは受け付けない設定(exciteブログのぞく)にしておりますので、ご了承ください。 お気に入りブログ
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