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菜の花月夜ですよネコが死ぬ夜ですよ
101歳の俳人、金原まさ子さんの近作です。 すごい感性ですよね。 21歳といっても、おかしくない。 こんな作品をブログで発表し続けています。 ブログはアシスタントの方がついているようですが、 にしてもブログで発表しつづけるという姿勢も若いです。 若いなんて言い方は好きではありませんけど、この方の場合は、そう言います。 あまり勝手に引用するわけにもいかないので、ブログを紹介します。 金原まさ子100歳からのブログ 読んでいただくとわかるんですが、感性って、かならずしも年齢に左右されないんですね。 週刊俳句におけるこのインタビューもすっごくおもしろいですよ。 週刊俳句の存在自体も、マニアにはこたえられないんではないでしょうか? あ、私はその趣味はそれほどありません。 きのうのNHKニュースから。
(以下圧縮引用) 全国すべての学校を対象にした就職調査や、雇用保険の加入状況などを基に内閣府が推計したものよると、2010年春、大学や専門学校などを卒業して就職した人は、56万9000人で、このうち19万9000人はすでにその仕事を辞めていた。(引用終わり) 調査時点がこのニュースでははっきりしないけど、最近だと思われる。 ものすごい早期離職率だよね。35%! その理由まではニュースではわからないけど、最近の調査などでは、どうやら長時間労働低賃金が多くを占めているようだ。 いつまで日本はこんなことをやってるのかね? 若者がこんな調子では、経済もうまくいくわけないじゃん。 いますぐできることは、低賃金なら労働時間を短くしろ、ということだよね。 遊び時間があれば、低賃金でも楽しく、それなりにお金を使えるからね。 バイトをして収入を増やすこともできるし。 で、その残された仕事をだれがやるのかといえば、中高年がやればいいよ。 中高年だって、低賃金でそれなりの時間働けばいいわけだし。 だってスキルは若者よりもあるんだし。 若者は遊べばいいよ。遊びながらなんか覚えればいいよ。 といいつつ、低賃金は、イヤだなぁ、と。 BS3で特集をやっていました。
4本続けてみたんだけど、ものすごく面白いです。 テレビが一番おもしろかった時代のコメディだからね。 レベルがものすごく高いし。 こういう映画ではできないことが、もうテレビでもできないのかなぁ。 コント55が最後だったのかな。 ヨシモトさんが亡くなりました。
ある日中央線で、ヨシモトはぼくの隣でつり革にぶら下がって、若い人と話してました。 背が小さかったような記憶があるな。 ある日、御徒町の雑踏を歩いていたら、妻が「ヨシモトリュウメイが自転車に乗ってるよ」というので、あわてて追いかけたけど、見ることはできませんでした。 若い頃にこの人の本はたくさん読みました。 理解できていないこともたくさんあるけど、直感的にこの人の文に触れているのが、楽しかったのだと思う。 さびしいけど、しょうがないよな。人は死ぬ。
先日、津田大介が自身のUSTの番組で、ぼくはインターネットがないと何もできない、と言っていた。それホンネだよね。(下田逸郎が出ていたので見ていたんだけど。)
というか、それ本質を突いてるよね、現代の。 でも、そういうふうにスラッと肯定的に言っちゃう人はいなかった。 それが新鮮だった、その言葉は。 斜に構えたり、侮蔑的だったり、過度に持ち上げたりするんじゃなく、 「インターネットがないと何もできない」と言ったのがいいんだ。 逆に言うと、インターネットを使いこなしてるよ、ということでもあるしね。 実はオレも、インターネットがないと何もできない、 と、言ってみたかったりするんだよね。 な、ことを言ったものだから、さいきん少々しゃべりすぎな感。
いや、べつに全然いいと思うんだけどね、個人的には。 でもブログと違ってSNSはまわりがあってのものだからね。 他人の迷惑にも思いがいたらないとね。 ただ自己愛的な書き込みをひんぱんに読まされるのはかなわんけど、 そうじゃなければ、そんなに気取らず、書くのはいいと思うんだよね。 ま、自己愛を否定することはできないが、限度があると思うんだよねf^_^;) facebookあたりをずらずら眺めてると、人間のいろいろなことがわかって面白い、ということはあるね。ちょっとイジワルな見方ではあるが。 こういうものの存在がデフォルトになった現代って、いったいどこへ行くんだろ? それも興味あるなー。 SNSについての論説は多いが、ぼくはあれは基本おしゃべりのツールだと思う。
カタカナで言うとコミュニケーションということになるけど。 ま、おしゃべりだよね。だから、SNSはおしゃべりをしないといけないのよ。 いけない、なんていうとあれだが、でもそう思うね。 プライバシーがどうのこうの、とか、言うべきことがあるのか、とか、もうそんな大仰なことではなく、ね、新しいおしゃべりのツールなんだよね。 だから、わたしゃ、そんなのなくてもふだんから声に出しておしゃべりしてるから十分なの、という人は、それでいいよね。 ちょっと新しい形でもおしゃべりしたいな、というときに参加すればいいわけで。 漫才の内海師匠もそんな感じで、参加してる。 おしゃべりって、人にとってすごく必要なものなんだな、と、最近、思いますね。 NYに住んでいる友達が、Googleの今回のプライバシーポリシーの統合についてfacebookで触れていたので、コメントをして聞いてみた。
問題視する動きが日本よりはあるみたいだ。 その問題というのは、60ぐらいあるGoogleのサービスについて、ユーザー情報を一元化するという。 正直なところ、これがどの程度問題なのかは、よくわからない。 これまでもgoogleで検索し、gmailを使い、youtubeを見ているからね。 そこでこちらが何を検索しているとか、何を発信しているとか、何を見ているとかが、だだ漏れになっていることは承知のうえで、後はgoogleという企業を信頼するしかないわけなので。 今回の措置におけるgoogleの狙いは広告をよりピンポイントで表出させるためらしい。 うん、まーそれで、こちらに迷惑がかかることはないのだけど、ひょっとしたら個人情報が他にも利用されるんじゃない?という懸念があるということなのだろう。 まー、それはこちらとしても困ることはあるかもしれない。でも、このインターネットを使う時代で、ある程度、企業に対する信頼がないとやっていけないし、企業のほうでもそれは考えていると信じるしかないところはある。 対処法としては、個人情報の削除とかあります。それは簡単にできますが、そんなに神経質にならないといけないのか、とも思うんだよなー。 で、そのNY在住の友達とfacebookで初めて会話をしたのだけど、日本語が表示されるのかな、とか不安だった。全然、問題はなかったのだけど。しかし、便利なものだなー、facebookは。
年をとることがこんなにスリリングなものであるとは、だれも教えてくれなかったな。
どうしてだろ? 年齢のイメージが、それを覆い隠していたのだろうか? それとも私がメッセージを読み取れなかっただけなのだろうか? 少し考えてみる必要があるな。 小津安二郎は「東京物語」の老夫婦にどんなメッセージをこめていたのだろうか? あそこに達観した老人を見てはいけないのだろうな?
老人はいつだれがどこへ行ってもおかしくないんだ。老人は流れ弾に当たるのを待っているようなものなんだ。
山田太一のドラマ「キルトの家」のセリフです。 老いることに安逸などない、達観もない、ただ焦燥感や不安、おそれなどがあるだけだ。 もっといえばスリリングな生活を送るだけなんだ。 今回のドラマで山田太一が言いたかったのはそういうことなんじゃないかな。 小津の映画のむかしから、そんなことはあたりまえに描かれてきたんだけどね。 どうして、人は年をとると精神的にラクになるだろう、と思いたがるのか? そんなことはありゃあしねーよ、ということをこのドラマは見事に描いていたな、それも大仰にドラマチックにはではなく、淡々とね。山田太一らしく。 好きだな。山崎努 ![]()
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