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Nowhere Man
発達障害という言葉が一般に使われるようになったのはここ数年のことじゃない?70年代や80年代におれが弟について、彼はいったい「何」なのか、どこにいるのかと、考えても考えてもわからないのは当たり前だったのかもしれない。

今、発達障害という言葉は、具体的な症例とともに語られる。しかしそれが人々にちゃんと理解されているわけではないだろう。ただ便利な言葉として流布されているだけのように思える。おれにしたって理解ははるか及んでいないし、そこに弟の類型を見出すこともできない。

自分が何であるのかわからずに途方に暮れていたのは、弟自身だっただろう。世の中に自分の居場所を見い出せないのは、本当にツライことだと思う。だから、還暦を迎える年になって精神障害者手帳をもらったときは、何かストンと気持ちに落ちるものがあったのだろう。「おれはあんたら健常者とは違うんさ」と言ったときには、誇りに近い感情があるようにも思えた。






# by nahkid | 2021-07-28 22:43 | Trackback | Comments(0)
Glass Onion
「まかないでいなり寿司をつくらなければいけないんやけど、どうやってつくるん?」泣きそうな声で弟から電話があった。おれはもうフリーとして家で仕事をしていた。経験のない弟にいなり寿司をつくれというのは後で思えばしごき、むしろいじめの類なのだが。いなり寿司はおれも作ったことがなかったが、思いつくままなにか答えたかもしれない。

弟からの電話はいつも切羽詰まって、パニクっていた。つらかったけどおれにはどうすることもできなかった。会うときはボソボソと口ごもりながら何か喋ったのだろうけどあまり覚えていない。どちらが誘ったのか、国立競技場にサッカーを見に行ったこともあった。彼の猫背を見送るのはいつも悲しかった。

いつしか彼の話の中に、こっちにきて知り合った友だちのことが出るようになってきた。もともと人懐こい性格なのでよかったなと思っていると、創価学会に入信したことを知らされた。それを聞いて、おれは少しホッとするとともに、パリンッと音がして自分の中で何かが壊れたような気がした。オレニハナニモデキナカッタノダ



# by nahkid | 2021-07-13 21:47 | Trackback | Comments(0)
I Shall Be Released
転入させた川崎の高校の夜間部を3日も通わずに行かなくなった弟。「だったら働こう」としかおれには言うことがみつからなかった。田舎の高校を中退し、何の経験もツテもなく、しかも精神を病んでいる少年が、大都会で働こうとするのがどんなに過酷なことかおれはちゃんと理解できていなかった。

飲食店の厨房なら皿洗いから始めれば、彼でもなんとかものになるんじゃないか。甘かった。勤め始めた銀座のレストランへは1週間ほどで行かなくなった。「あやまってもう一度働かせてもらおう」店の前まで手をつないで連れて行った。ドアを入るのを見送った。その日、おれは会社を遅刻した。

厨房に続く裏口のドアに弟が吸い込まれていった。不思議だがその後のことはどう思いだそうしても記憶がない。おれも解放されたかったのだろう。その後30代なかばで実家に帰るまで十数年、彼はこっちに住んで働いたし、何度も電話で話し、会いもしたのだが。おれの生活もいろいろなことが始まっていた。

# by nahkid | 2021-06-29 21:05 | Trackback | Comments(0)
Foot steps
「お兄さんが出ていかれるんだったら、弟さんも一緒に出ていってくださいね」と大家が言った。上品なおばあさんだった。理不尽だとはまったく思わなかった。精神が病んでいる10代後半の男を他人がどう見ているか、それは聞くまでもなかった。こうしておれたちは元住吉のアパートを出た。

おれは結婚して日吉のアパートに移った。弟は別のアパートに移った。休日の午後、妻と外出から戻ると、弟が玄関でうずくまっていた。高校の時の制服らしき白シャツと黒ズボンで。どうして来たのかはわからなかったし、何も言わなかった。「人のウチに来るときはあいさつしなさいね」たまらず妻が言った。

「ジョギングでもしようか」と誘った。弟は着替えもせずに付いてきた。近所に田んぼがまだ残る一角があり、そこを目指した。無表情で付いてくる彼が履いているのはすり減った黒い革靴だ。カッタンカッタンという歩道を叩く靴音が、青空の下で響いた。心の空洞にこだまする音のようだった。

# by nahkid | 2021-06-25 22:59 | Trackback | Comments(0)
One summer night
せっかく受かった地元の高校に行かなくなり、山にこもるようになった弟をおれは自分の住む都会に連れてきた。親の手には負えそうになかったからだ。発達障害という便利な言葉がまだ流布されていなかった70年代の終り頃。

その頃、彼はすでに神経を病んでいたと思うが、残念ながらおれには彼の心の病を病として認識することができなかった。

「道ですれ違った知らない人がおれを見てバカと言うてくる」
17歳の言うことが被害妄想なのかどうか判断することもできずに、おれは「そんなことはないやろ」と聞き流すのが精一杯だった。

おれは元住吉という川崎の庶民的な町の木造アパートに住んでいたのだが、たまたま空き部屋があったので、その北向きの部屋を借りて住まわせた。

いつしか彼の部屋の小さな台所にゴキブリがいっぱい湧くようになっていた。壁に持たれてうずくまる弟。ゴキブリと格闘しながら掃除をするおれ。互いに何も言わずに暑い夏の夜が過ぎていった。



# by nahkid | 2021-06-20 22:19 | Trackback | Comments(0)